今から遡ること100年以上前、1900年に日本人が考えた「光沢紙」がありました。
とはいっても、現在の光沢紙とは全く違うもの。その光沢紙は和紙の原料である「三椏(ミツマタ)」を使って手漉きによって生産されました。明治時代に導入された活版印刷機に対応するために考案された光沢紙です。
100年以上前に従来の和紙の生産方法(家内制手工業)を根本から見直し、出資を募って株式会社として和紙の生産をする。斬新な考え方です。しかしながら資本は薄弱、設備投資の金額は莫大なものとなりました。しかも誰も作ったことのない紙に挑戦するということは無謀な賭けとも言えました。順風満帆とはいかず株式会社としては解散。個人事業としての再出発を行っての開発でした。
写真は個人事業として明治時代に購入したロール機(紙に光沢を出すための機械)です。
光沢紙(三椏局紙)は1896年ごろ完成しアメリカのシカゴ万国博覧会で優等賞、パリの万博でも金杯をとります。この光沢紙(三椏局紙)を見た人は「光沢紙(三椏局紙)は和紙にあって和紙にあらず洋紙にあって洋紙にあらず」と言ったそうです。光沢紙(三椏局紙)は銅版画洋紙としても使われ今もなおヨーロッパの美術館で健在です。
以上、上記の歴史は信洋舎製紙所の歴史でした。
1900年の光沢紙(三椏局紙)をそのまま現代の写真用紙に。
全く資料らしい資料がない手探りの状態の復刻は大変苦労を伴いました。
明治時代の器械を使っての手漉きでの作業。
やっとの思いで完成いたしました。
この光沢紙(三椏局紙)はインクジェットプリンターとの相性も良く独特の風合いは貴方の写真をより深く幻想的な味わいのあるものに高める非常にアート要素の高い光沢紙です。
コート剤などの薬品は一切使わない100年以上の歴史が証明する写真用紙です。
ニューヨーク日本国総領事館にて写真家 棚井文雄氏の協力を得て1900年の光沢紙(三椏局紙)を使った写真展「うつす和紙展」を開催しております。
2013年10月2日から10月22日まで詳しくはこちらまで